磁気ダンピング・磁歪・鉄損の関係性
磁気ダンピングは磁化運動そのものの散逸を支配し、磁歪は格子(弾性場)との結合を介して磁化運動に新たな散逸経路を与える。鉄損は、これらの散逸が交流励起下で「単位時間あたりの熱」へ写像された量として理解でき、エネルギー散逸の統一的な記述が可能となる。
参考ドキュメント
- 日本磁気学会:高周波磁気損失と磁歪・ダンピングの関係(日本語) https://www.magnetics.jp/special/bulksoftmag_001/
- Tsukahara et al., Formulation of energy loss due to magnetostriction to explain anomalous eddy current loss, NPG Asia Materials (2024)(英語・PDF) https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/94926/NPGAsiaMater_16_19.pdf
- 電気学会 用語解説:鉄損(ヒステリシス損・渦電流損などの基本的定義)(日本語) https://www.iee.jp/pes/termb_072/
1. 散逸を「エネルギー流」として書く
1.1 鉄損(power loss)の基本定義
単位体積あたりの平均損失(平均発熱)を
である。磁束密度
が基本式である(
1.2 磁気ダンピング(Gilbert damping)
磁化(単位ベクトル)を
である。
1.3 磁歪と磁気弾性
磁歪(magnetostriction)は、磁化方向の変化に伴ってひずみが生じる現象である。単結晶であれば結晶対称性に応じた磁歪定数(立方晶なら
磁気弾性(magnetoelasticity)に伴うエネルギー量は、ひずみ
の形で応力誘起の異方性として現れる(
2. 磁気ダンピングが「損失」になる理由:LLGから散逸率を得る
2.1 LLGが与えるエネルギー散逸率
有効磁界を自由エネルギー密度
で定義すると、LLG は磁化運動がエネルギーを単調減少させる(散逸する)ことを保証する。よく用いられる形として
が得られ、
2.2 交流応答としての損失: (虚部)との関係
小振幅の交流磁界
である。ここで
3. 鉄損の分解:ヒステリシス損・渦電流損・過剰損失
鉄損はしばしば、現象論的に次の3項へ分けて整理される。
| 項目 | 記号 | 主たる起源 | 周波数依存の目安(同一 |
|---|---|---|---|
| ヒステリシス損 | 不可逆磁化過程(磁壁のピン止め、局所反転) | ||
| 古典渦電流損 | マクロ電磁誘導による渦電流 | ||
| 過剰損失(残留損失) | 磁区・磁壁の空間不均一なダイナミクス、追加散逸 |
これを
の形で扱うことが多い。過剰損失は「古典渦電流損の補正」ではなく、磁区ダイナミクスに由来する追加散逸として現れる点が重要である。
3.1 古典渦電流損の基本式(薄板・正弦波の一例)
板厚
で与えられる(幾何・波形・磁束分布の仮定に依存する)。
4. 磁歪が鉄損へ入る経路:静的(応力誘起異方性)と動的(磁気弾性散逸)
磁歪は「ひずみが出る」だけでは終わらず、材料内の応力・粘性・弾性波との結合を通じて損失へ寄与する。大きく2種類に分けて理解すると見通しがよい。
4.1 静的経路:内部応力が磁化過程を変える
残留応力や界面応力、粒界近傍の局所応力が存在すると、磁歪を介して応力誘起異方性が生じる。等方近似で応力
と書け、結果として磁壁のエネルギー地形が変わり、磁壁のピン止め強度や反転モードが変化する。これは準静的ループの形状(保磁力やループ面積)を通じて
4.2 動的経路:磁気弾性結合が「粘性散逸」を増やす
磁歪がある材料では、磁壁移動や磁化回転に伴って局所ひずみ場が時間変化する。材料に粘性(内部摩擦)があれば、ひずみ速度に比例した散逸が生じ、磁区ダイナミクスに伴うエネルギー散逸として観測される。
5. 「過剰損失」と磁歪・粘性
5.1 磁歪+粘性による散逸が、過剰損失と同様の周波数依存を与える
磁歪をもつ軟磁性体の磁壁運動を考えると、磁壁近傍には磁気弾性に由来するひずみ場が付随する。このひずみ場が時間変化すると、粘性により機械的散逸が生じる。
Tsukahara らは、磁歪と粘性を含む磁壁運動により、渦電流に依らない散逸機構が現れ、しかも従来「異常渦電流損(過剰損失)」として整理されてきた損失と同様の周波数依存を示し得ることを定式化した。
5.2 磁壁座標に落とした散逸の姿
磁壁位置を
である。さらに
5.3 高抵抗化しても過剰損失が消えない場合がある
古典渦電流損は
6. 磁気ダンピングと磁歪の接点:スピン・格子結合が両者を媒介する
6.1 内因性ダンピング( )とスピン軌道相互作用
金属強磁性体の内因性ギルバートダンピングは、スピン軌道相互作用の下での電子遷移・散乱を通じて生じるという見方が広く用いられる。すなわち、磁気異方性や磁気弾性(磁歪)と同じく、スピン軌道相互作用が主要な起点となる。
このことは、合金化によりスピン軌道相互作用や状態密度が変化すると、磁歪・磁気異方性・ダンピングが同時に変わり得ることを意味する。ただし「磁歪が大きいから必ずダンピングも大きい」とは限らず、支配する散乱機構の違いにより相関が崩れる場合もある。
6.2 磁気弾性由来のダンピング:マグノン–フォノン結合と緩和
磁歪を介したスピン–格子結合は、磁化運動のエネルギーを弾性波(フォノン)へ流し込む経路を提供する。これは磁化ダイナミクスの観点では「追加のダンピング」として現れ得る。したがって、同じ材料でも温度・応力状態・欠陥密度により、測定される有効
7. 結局「鉄損」にどう効くのか:周波数帯で見た整理
磁気ダンピングと磁歪は、周波数帯により鉄損のどの項へ主に顔を出すかが変わる。以下は整理のための見取り図である。
| 周波数帯の目安 | 支配的になりやすい事象 | 損失項への主な投影 | 磁歪・ダンピングの関わり |
|---|---|---|---|
| 低周波(準静的) | 不可逆磁壁運動、局所反転 | 磁歪×内部応力がピン止め地形を変え、ループ面積が変化し得る | |
| 中周波(kHz〜MHz) | 磁区の不均一運動、局所渦電流、緩和 | 磁歪+粘性散逸が | |
| 高周波(GHz近傍) | 強磁性共鳴、スピン波励起 | 吸収( |
8. 測る量・計算する量・結びつける量
8.1 代表的な物理量の対応
| 物理量 | 記号 | 単位 | 何を表すか |
|---|---|---|---|
| ギルバートダンピング | 無次元 | 磁化運動の散逸の強さ(有効値は外因性を含み得る) | |
| 磁歪(等方近似) | 無次元(ひずみ) | 磁化配列に伴う自発ひずみの大きさ | |
| 磁気弾性(等方近似) | J/m^3 | 応力により誘起される異方性のスケール | |
| 鉄損(体積) | W/m^3 | 単位体積あたりの平均発熱 | |
| 鉄損(質量) | W/kg | 材料密度で規格化した損失 |
8.2 「同じ材料なのに損失が変わる」ことの自然な説明
鉄損は、磁区構造、内部応力、欠陥、粒界、電気抵抗、熱処理状態など多くの内部自由度を反映する。磁歪は応力・欠陥と結びつきやすく、ダンピングは電子散乱・スピン–格子緩和と結びつきやすい。したがって、
まとめと展望
磁気ダンピングはLLGにおいて磁化運動の散逸を直接規定し、小振幅交流応答では
今後は、(i) 磁区ダイナミクス(磁壁運動・磁化回転)と弾性場(ひずみ・粘性・弾性波)を統一方程式で扱い、周波数依存の損失分解を材料定数から再構成すること、(ii) スピン軌道相互作用に根差す内因性ダンピングと磁気弾性定数を第一原理に基づき同時評価し、微視機構と鉄損を材料設計変数へ写像すること、(iii) 応力場・組織・欠陥の統計性を含めた「現実材料」の損失予測へ拡張することが重要である。
参考文献
Huang et al., Origin of excess core loss in amorphous and nanocrystalline magnetic materials, Phys. Rev. B 109, 104408 (2024) https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevB.109.104408
Bertotti, Physical interpretation of eddy current losses in ferromagnetic materials, J. Appl. Phys. 57, 2110 (1985)(AIPページ) https://pubs.aip.org/aip/jap/article/57/6/2110/14722/Physical-interpretation-of-eddy-current-losses-in
Bertotti, Physical interpretation of eddy current losses in ferromagnetic materials(PDFミラー) https://boulph.free.fr/Krzysztof/1985 Physical interpretation of eddy current losses in ferromagnetic materials.pdf
Peria et al., Anomalous temperature dependence of phonon pumping in magnetostrictive heterostructures(スピン–ひずみ結合と磁化ダイナミクスの関係を概説) https://par.nsf.gov/servlets/purl/10398439
NIMS プレスリリース(過剰損失・磁歪の用語説明を含む)(日本語) https://www.nims.go.jp/press/2025/09/lf77c00000004gsi-att/202509030.pdf
「よくわかる磁性材料」特集(鉄損・渦電流損の基本的説明を含む)(日本語・PDF) https://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2014/magazine1409.pdf