VNAによる複素透磁率測定
VNA(ベクトルネットワークアナライザ)は、Sパラメータの振幅と位相を周波数掃引で取得し、材料中の電磁波の反射と透過から複素透磁率
0. 記号と前提
本稿では、角周波数
VNAのSパラメータは参照インピーダンス(多くは
1. 複素透磁率の物理的意味
比透磁率
損失の指標として
2. VNA測定で得られる量と材料定数推定の関係
VNAは2ポート測定で
この逆算は一意ではなく、分岐(複素対数の枝選択)や低損失・厚肉試料での不連続、空隙(エアギャップ)による系統誤差が現れやすい。したがって、VNA本体の性能だけでなく、基準面(キャリブレーションプレーン)を試料端面に一致させる校正設計と、単一モード条件を満たす治具設計が不可欠である。
3. 測定方式の分類
VNAを用いた
反射・透過法は、同軸線路や導波管に試料を充填し、伝送路としての反射・透過を使って
4. 反射・透過法の基本モデル
試料を挿入した伝送路が単一モードで、入出力側が同一特性インピーダンスで整合していると仮定すると、端面反射
の形で表される。実際の治具では端面のわずかな段差やコネクタ遷移が残るため、この式が成立するように基準面移動やデエンベッドを行うことが重要になる。
上式を用いると、測定された
5. NRW法とNIST系アルゴリズム
NRW(Nicholson–Ross–Weir)法は、反射・透過係数から
として端面反射係数を得て、受動条件を満たす枝を選ぶ。
次に
を求め、
により伝搬定数を得るが、
NRWは実装が比較的簡潔である一方、低損失かつ試料厚が
6. 同軸線路法
6.1 TEMモードと適用条件
同軸線路のTEMモードでは、媒質中の有効屈折率とインピーダンスが
同軸線路法は、粉末充填コンポジット、フェライト、磁性吸収材など幅広い材料に使われるが、試料外径・内径・長さの加工精度が支配的になる。端面が斜めであったり、内導体との同心度が崩れると、見かけの反射が増え、
6.2 試料形状
同軸治具で一般的なのは、同軸断面を完全に満たすリング(スリーブ)状試料である。リング試料は内導体と外導体に密着させる必要があり、内径側・外径側の空隙は系統的に
粉末材料や脆性材料では、樹脂などで成形した環状試料を用いることが多いが、このとき磁性粉末とバインダの体積分率が有効媒質として
6.3 手順
同軸治具を用いる場合、まず治具の接続面(コネクタ面)で2ポート校正を行い、その後に試料端面へ基準面を移す(ポートエクステンションやデエンベッドを含む)設計を行う。次に、試料を規定トルクで固定し、再現性のため締結条件と治具姿勢を固定して測定する。
測定後は、時間領域変換(Time Domain)を用いて不要反射(コネクタ遷移や外乱反射)を分離し、必要に応じてゲーティングで影響を減らす。ゲーティングは自由空間法で特に重要であるが、同軸でも多重反射が強い場合に有効なことがある。
7. 導波管充填法
7.1 モードとカットオフ
矩形導波管では基本モードTE
導波管の伝搬定数は、自由空間波数
で与えられる。媒質の
7.2 試料加工と固定
導波管充填法では、導波管断面を満たすように試料を加工する必要があり、角部の欠けや隙間が誤差源となる。金属粉末系や脆性材料では、導波管断面に合わせた治具・ホルダで加圧固定し、隙間を最小化する工夫が必要である。
また、導波管では試料長
7.3 への変換
TEモードでは波動インピーダンスが
で与えられ、端面反射
として規格化インピーダンスを得られる。ここで
この関係と
8. 自由空間法
自由空間法は、ホーンアンテナなどで形成した準平面波を試料に入射し、反射・透過の複素Sパラメータから複素透磁率
自由空間法は、平面波仮定、入射角、偏波、ビーム形状、試料サイズが解析モデルに直結するため、測定系の幾何と校正・時間領域処理が支配的になる。アンテナ間の多重反射や試料端での回折散乱が測定値に重畳するので、時間領域ゲーティングやGRLなどの自由空間校正が頻繁に併用される。
8.1 測定配置
自由空間法の配置は、透過配置(送受アンテナで試料を挟む)と反射配置(同一側で反射を観測)に分かれる。透過配置は
反射配置は表面反射特性(反射率、反射位相)に集中できるため、厚肉や強損失で透過が小さい材料、金属基材上の吸収層などに向く。反射配置では、参照面(校正面)と試料表面位置の一致が重要であり、位置ずれが位相誤差を通じて材料定数推定に増幅される。
8.2 平面波モデルと材料定数の関係
自由空間法の解析は、基本として平面波が厚み
とすると、空気(媒質1)と試料(媒質2)の界面反射係数は
で与えられる。
試料内部の伝搬定数は
であり、スラブ内の多重反射を含めた透過係数は伝送線路の式と同型になる。例えば、両側が空気で対称、正入射として、内部伝搬因子
の形で記述でき、測定Sパラメータから
8.3 幾何条件と回折散乱
自由空間法では、アンテナ間距離、アンテナ開口、試料サイズが結果を大きく左右する。遠方界条件の目安として、開口径
試料サイズがビーム径に対して小さいと、端部での回折散乱が増え、透過・反射の振幅と位相に周波数依存のリップルが生じる。有限サイズ誤差は、同一試料でも配置やアンテナ位置の微小なずれで大きく変化するので、機械的な固定再現性の確保と、時間領域での不要成分分離が測定の再現性に直結する。
8.4 時間領域ゲーティング
時間領域ゲーティングは、周波数領域で測った
時間分解能は周波数スパン
8.5 自由空間校正
自由空間法の校正には、TRL、TRM、GRLなど複数の体系がある。自由空間では治具標準器の実体が同軸・導波管ほど明確でないため、参照反射体(導体板)や既知の距離変化(ライン)を組み合わせて、測定系の系統誤差を補正する手続きが用いられる。
GRL(Gated Reflect Line)は、時間領域ゲーティングと参照反射体・距離標準を組み合わせて自由空間のフル2ポート校正へ拡張する考え方として説明されることが多い。商用ソフトウェアでは、同軸・導波管の2ポート校正で確立した誤差補正の枠組みを、自由空間系の校正へ変換する機能として提供され、時間領域オプションを要する実装がある。
8.6 推定の安定性と枝選択
透過・反射から
自由空間法では、試料厚みの誤差が
8.7 測定が反射優勢になる場合
磁性材料や導電性材料では、皮相効果や導電損失により透過が極端に小さくなることがある。透過がノイズフロアに近づくと
反射中心の評価では、試料背面の影響を除くために十分厚い試料を用いるか、背面を整合終端に近づける設計が求められる。表面反射を材料物性へ変換する際は、表面インピーダンスと
9. 共振法
共振法は、共振器の共振周波数
共振法は、反射・透過法に比べて損失が非常に小さい材料の評価に強く、極小の損失正接の差をQの変化として検出できる。一方で、共振周波数近傍の離散点情報であり、広帯域の周波数分散を一度に得る用途には向かない。
9.1 共振器法と摂動法
共振法には、試料が共振器の一部を構成する共振器法と、共振器に小試料を挿入して摂動として扱う摂動法がある。共振器法は、試料形状を共振器の幾何に取り込むことで解析しやすくする一方、試料加工と固定が共振条件に直結する。
摂動法は、試料が小さく、挿入前後で共振器内の電磁界分布がほとんど変わらないという前提で成立する。試料寸法が大きい、あるいは
9.2 摂動理論による周波数シフト
摂動理論では、無試料の共振角周波数を
で表される。ここで
この式は、試料を電場極大位置へ置けば
9.3 Q値変化と損失成分
共振器のQ値は、1周期あたりの損失エネルギーと蓄積エネルギーの比で定義される。角周波数
であり、試料挿入による損失増加は
損失が主に材料の虚部(
の形に整理でき、配置(電場極大か磁場極大か)により、どちらの虚部に主に感度があるかが決まる。導電性が高い試料では、電場によるジュール損失が支配しやすく、磁性体であっても
9.4 VNAでの共振パラメータ推定
VNAでは共振器を2ポートで弱結合させ、
と見積もれるが、高Qでは測定点密度、IF帯域、位相ノイズの影響が無視できなくなる。
より安定な推定には、複素Sパラメータの共振円(resonance circle)へのフィットや、複素周波数応答のモデルフィットが用いられる。結合の強さを含めて内部Q(unloaded Q)
のように加法的に寄与することを前提に、カップリング係数を評価して
9.5 共振器の種類と適用範囲
共振器の形態として、矩形空洞、円筒空洞、同軸共振器、誘電体共振器、スプリットシリンダ共振器、スプリットポスト誘電体共振器などが使われる。薄板基板や低損失シート材料にはスプリット形の共振器が用いられ、非破壊で
磁性材料の
9.6 摂動条件と適用限界
摂動法の一次近似は、試料挿入前後で電磁界分布がほとんど変わらないことを暗黙に要求する。試料体積が大きい、比誘電率や比透磁率が大きい、損失が大きい場合には、共振器内の場が再配分され、一次摂動式の分母・分子に入れた無試料場
この限界を避けるために、試料を十分小さくする、配置を厳密に再現する、あるいは複数モード・複数配置で独立な情報を増やして整合性を確認する方法が採られる。近年は、共振周波数を
9.7 テンソル透磁率と円偏波分解
磁性体が外部磁場下でジャイロトロピックになる場合、透磁率はテンソルとなり、右回り・左回りの円偏波に対する応答が分離できる。円偏波分解を導入すると、共振周波数とQ値の変化から、通常の共振法より多い独立情報を得られ、複素透磁率テンソルの推定へ拡張できる。
この方向は、スピン波・磁気共鳴を含む高周波磁性の評価や、メタサーフェス・センサ応用の材料評価と親和性が高い。装置面では、モード純度や偏波制御、磁場印加の安定化が要求され、共振器設計と測定解析の一体化が重要になる。
9.8 共振法が有利になる材料条件
共振法は、損失が非常に小さい材料で、反射・透過法では分解できない微小な
一方で、強い周波数分散や広帯域にわたる損失構造(緩和・共鳴)が本質である材料では、共振法のみで全体像を得ることは難しい。広帯域の反射・透過法や自由空間法と組み合わせ、共振法を基準点の高精度測定として位置づける構成が有効になる場合がある。
10. 校正と基準面
10.1 エラーの分解
VNA測定の不確かさは、ドリフト、ランダム、システマティックに分けて議論できる。システマティック成分は校正で大きく抑えられるが、ドリフトとランダムは最小化しかできないため、環境安定化と再現測定が重要になる。
材料定数推定では、Sパラメータの微小差が
10.2 校正アルゴリズム
同軸ではSOLT(Short-Open-Load-Thru)が広く使われ、導波管では複数のショート長を使う方式が用いられることが多い。校正は測定系の不整合、方向性(directivity)、周波数応答などを補正し、測定対象(治具や試料)に起因する応答を抽出する手続きである。
材料測定では、治具端面で校正しても試料端面が基準面にならないことが多いため、ポートエクステンションやデエンベッドで試料端面へ基準面を移す。自由空間法ではさらに、金属板反射を使った時間領域処理と組み合わせて、アンテナ間の残留反射や端面回折の影響を抑える工夫が使われる。
11. 分岐問題と厚み条件
反射・透過法では、
低損失試料で厚みが
12. 空隙と高次モード
同軸・導波管のどちらでも、試料と治具の間の空隙は有効媒質として振る舞い、推定された
高次モードの励起やモード変換が起きると、単一モード仮定に基づく逆算が破綻する。そこで、治具の使用帯域を守り、試料端面の平行度・直角度・表面粗さを管理し、治具の遷移部(コネクタ、段差)を時間領域で評価して、必要ならゲーティングや構造変更で抑制する。
13. 測定条件の記述
VNA測定は小信号測定であり、得られる透磁率は動作点周りの微分透磁率(インクリメンタル透磁率)として解釈されることが多い。したがって、入力電力、平均化、IF帯域、掃引点数などの測定条件は、材料の非線形性やノイズ低減と不可分である。
磁性体は直流バイアスで
14. 方式間の比較
| 方式 | 周波数の扱い | 試料形状 | 主な利点 | 主な制約 |
|---|---|---|---|---|
| 同軸線路法 | 連続 | リング、スリーブ、成形体 | TEMで扱いやすく広帯域化しやすい | 空隙と同心度に敏感、高次モード制約 |
| 導波管充填法 | 連続(導波管帯域内) | 導波管断面を満たす加工体 | モードが明確、規格化しやすい | 帯域制限、加工精度と端面段差に敏感 |
| 自由空間法 | 連続 | 大型平板、特殊環境材料 | 非接触、治具加工が不要になり得る | 回折・多重反射、試料サイズ要求が大きい |
| 共振法 | 離散 | 小片、薄片など | 高感度、位相絶対値に依存しにくい場合がある | 離散点評価、寄与分離に配置工夫が必要 |
この表は方式の性格を整理するためのものであり、実際の適用可否は周波数帯・試料損失・加工可能性・必要精度で決まる。とくに磁性金属材料では渦電流損失が強く、反射が支配的になりやすいため、試料厚みと周波数の組合せが方式選択の中心になる。
15. 参考ドキュメント
日本磁気学会誌 特集号 複素透磁率の測定(Sパラメータ法を含む)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsjmag/45/11/45_883/_pdf/-char/jaKeysight 85071E Materials Measurement Software Technical Overview(NRW、NIST Precision、自由空間校正GRLなどの機能説明)
https://www.keysight.com/us/en/assets/7018-01155/technical-overviews/5988-9472.pdfNIST Technical Note 1355-r Transmission/Reflection and Short-Circuit Line Methods for Measuring Permittivity and Permeability
https://nvlpubs.nist.gov/nistpubs/Legacy/TN/nbstechnicalnote1355r.pdf
16. その他参考にしたsources
Anritsu VectorStar Calibration and Measurement Guide(校正概説、SOLTなどの校正アルゴリズム一覧)
https://dl.cdn-anritsu.com/en-us/test-measurement/ohs/10450-00040AE/Calibration_and_Measurement/MG_Ch01_Cal_Overview.06.04.htmlRohde & Schwarz ベクトル・ネットワーク・アナライザ校正の基礎(誤差分類、基準面、標準器)
https://cdn.rohde-schwarz.com/jp/downloads_43/common_library_43/miscellaneous_43/Understanding_VNA_Calibration_Basics_jp.pdfShizukuishi et al., Sパラメータ法による同軸導波管を用いた材料定数測定(同軸方式の実例)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/43/2/43_2_234/_pdfYamaguchi et al., 導波管充填法による材料定数測定法の検討(導波管方式の実例)
https://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/18547/files/152127AIST Bulletin of Metrology 共振法とVNA測定(共振周波数シフトとQ値変化から材料定数を得る説明)
https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/bulletin/Vol11/1/V11N1P53.pdf
17. まとめと展望
VNAによる複素透磁率測定は、反射・透過モデル(同軸・導波管)、自由空間法、共振法という複数の選択肢を持ち、試料形状と周波数帯に応じて最適解が変わる。とくに反射・透過法では、基準面を試料端面に一致させる校正設計、空隙抑制、分岐処理の3点が
今後は、時間領域処理と不確かさ評価の高度化により、治具遷移や多重反射の影響を定量的に分離した